1.新聞発行部数
日本新聞協会が発表した「新聞発行部数と世帯数の推移」によると、2000年の新聞発行部数は537,08,831部、世帯数は47,419,905世帯、2014年の新聞発行部数は45,362,672部、世帯数は54,952,108世帯です。
この15年間で世帯数は7,532,203世帯の増加に対して、発行部数は8,346,159部の減少となっており、世帯数の増加に発行部数が並走できていないことは明白です。
また、日本ABC協会が発表した2014年度下期(6~12月)での新聞発行部数一覧によると、中央紙各紙の部数は次の通りです。
上表から新聞発行部数の減少は厳然たる事実ですが、上記の数値で留意すべき点は、あくまでも発行部数は自主申告によるもので、実際の配達部数を反映しているのかはわからない。なかには配達されないまま新聞販売店で一時保管された「押し紙」や「残紙」も含まれているはずで、これらを正確に精査すれば、発表部数はさらに減ると推定されます。
2014年度にASAへと搬入された朝日新聞の約3割が配達されていない偽装部数でした。地域の260店のASAを10年間の間、サンプル調査した、内部資料の「2014年度ASA経営実態調査報告書」を見た朝日新聞の販売店主は「信憑性が高い」と話し、広報部は否定しなかったそうです。
実発行部数は510万部なのに、公称710万部だと200万部も過大申告しているとのことですが、様々な傍証が掲載されていますが、これが事実か否かは一般市民には判定するすべはありません。
ただただ「へぇ~、そうなの」という無責任な反応しかできませんが、「社会の公器」と称された新聞も、今日では商業主義の権化と化したのかと気が滅入ります。
2.新聞購読者数の低下
以前はラッシュ・アワーの電車内では、他人の迷惑を考えて新聞紙を小さく折りたたんで読んでいるビジネスマンが大勢いたものですが、昨今では電車内で新聞紙や本を広げている人は激減し、車内はスマホ展覧会の様相を呈しており、活字離れというより「紙面離れ」が実態ではないかと思われる状況ですね。
自社発行の「あんふぁん」読者に対し、サンケイリビング新聞社が2015年5月に実施したアンケート調査では、次のように論評しています。
幼稚園ママと保育園ママに、「あなたの家庭では新聞を取っていますか?」と聞いたところ、「紙だけ取っている」が32.0%、「紙と電子を取っている」が1.4%、「電子だけ取っている」が3.5%で、「紙も電子も取っていない」が63.1%だった。2014年は「紙も電子も取っていない」が56.5%だったので、1年で新聞を取る家庭が6.6ポイント減少している。子育てママは、ニュースをインターネットやテレビなどで見る傾向が強まっている。
また、2014年10月10日配信の時事通信では、次のように述べています。
新聞を購読している人は74%と過去最低に落ち込んだことが10日、時事通信社の「新聞に関する世論調査」で分かった。有料電子版についても初めて尋ねたが、利用者は3%にとどまり、新聞離れをカバーできていない実態が浮かんだ。
調査は9月5~8日、全国の成人男女2000人に個別面接方式で実施(回収率65%)。2008年から毎年行っている調査で、購読者は初回の86%からおおむね減り続け、今回が74%(昨年79%)。購読していない人は26%だった。
購読していない人の理由(複数回答)は「テレビやインターネットなどで情報が得られるから」64%(同72%)が最多。これに「購読料が高い、節約のため」41%(同49%)、「読む時間がない、忙しいから」23%(同31%)などが続く。
『2014年10月10日配信-時事通信-』
サンケイリビング新聞社のアンケートは20代後半から30代のスマホ愛好世代のニューファミリー層に限定しており、集計数は326人と極めて少ない分母ですが、なるほどという感想です。
時事通信社の世論調査の「74%」には、「え~! まだそんなに」という驚きと疑念を生じたのが率直な感想です。
信憑性はともかく「2ちゃんねる」での反響は、「新聞業界では、押し紙率40%が常識だから、74%から40%減数した44%だと置き換えて考えるべきだ」というのが圧倒的な意見でした。
いずれにせよ新聞購読者数の低下は、公然の事実のようです。
3.公器と採算性
商行為の必然性
宗教は憲法の「信教の自由」によって護られていますが、信者組織である宗教団体は信者組織の維持経費、宗教施設の建設費などに多額の資金を要し、それをまかなうため信者から寄付金を集金したり、護符やご神体像などを販売したりしています。
同様に公器とされる新聞も莫大な製作費が必要で、その確保のためには多数の広告を集め(全紙面の50%以内)、それ以外にも折り込みチラシを募集しています。
公器といえども商行為によって成立している以上、「社会の公器」としての公正性の確保と、経営健全化のための商行為とを適確に整合させる必要がありますが、資本主義社会のなかで、それを確立させるのは容易なことではないのでしょう。
公共事業以外に採算性を度外視しても成り立つ事業は存在しません。公器たる新聞社が採算性を求めるのは当然のことですが、発行部数の過大申告にどのような必然性があるのでしょうか。
広告収入と配達部数
東芝の粉飾決算は違法行為として司直の介入する事態になっていますが、新聞発行部数の粉飾は税務上の問題とは別次元の話です。経理上の数値の偽装や粉飾をしているわけではなく、あくまでも公称という形で数値を発表しているだけなのです。
では、なぜその必要があるのか。答えは簡単です。
新聞社は新聞販売と広告費収入によって成り立っていますが、広告費は発行部数と密接な関係にあり、クライントが求める配布エリアにおけるカバー率によって価格が増減するからです。
例えば、ある30万都市でÁ社の新聞は5万部を配達している場合、広告単価に5万を掛けた数値が請求金額になりますが、それが4万部だったら、当然減額されます。
各種のデータからも判読できるように、新聞発行部数の減少化は歯止めがきかず、当然新聞各社の収入は激減、経営は不安定になっているはずですが、発行部数の公称制度という不透明な防御壁に護られて40%もの「押し紙」が隠されていたとすれば、莫大な粗利益を得ていることで、購読者数の低下にもかかわらず、従前通りの安定した経営状態を維持できているということです。
実際の発達部数は地域の各新聞販売店と卸元の新聞社にしか分かりませんが、地域世帯での配布カバー率は50%前後と考えていたほうがベターかもしれませんね。
したがって、地域カバー率50%以上を想定しているクライアントは、カバー率80%以上を前提とするポスティング業者に頼らざるを得ないということになります。