チラシの歴史について

チラシの歴史チラシを使用した宣伝方法として、昔から日本ではポスティングが馴染みがあります。そのチラシ広告の歴史もとても長いものになります。

1.日本最古のチラシ・・かも?

天正7年(1579年)、宣教師バリニャーニは、布教のため来日したイエズス会の宣教師らが毎年個別に作成してローマ本部に送っていた報告書「耶蘇会士日本通信」を年報形式として「耶蘇会日本年報」に一本化しました。

 報告書には日本の政治情勢、教会の状況、各地の様子などが報告されていますが、この耶蘇会日本年報に「安土城下の楽市で、現在のチラシにあたるものが配布されていた」との報告があるとのことで、私は現物を未確認なので断定はできませんが、これが日本最古のチラシ広告、かもです。

2.引き札

引き札とは江戸時代に始まった広告チラシで、引くは「客を惹き付ける」の意味です。すでに13世紀に一遍上人(鎌倉時代中期の僧侶)が各地を巡られた際に「南無阿弥陀仏」と記した御札を配っており、実に25万人以上に手渡したとされることから、これを引き札の原点だとする意見もありますが、商業目的の広告チラシとは別次元のものです。一遍上人が現世に転生していれば、ぜひ配布員として雇用したいものですね。

3.日本初のポスティング

延宝元年(1673年)、伊勢松阪の豪商・三井高利が江戸で開業したばかりの小さな呉服店「越後屋(現在の三越)」が「店前現銀売り」や「現銀掛値無し」「切り売り可」など、当時では画期的な商法を引き札に記して江戸十里四方の住宅に配ったところ大反響を呼び、またたくまに越後屋は大繁盛するに至ったようです。

なお、越後屋の引き札の配布は、天和3年(1683年)のこととする説もありますが、前述の引き札とは別に越後屋が同年に店舗拡張のため、本町から駿河町に移転しており、それを告知する引き札を配布したのかもしれません。

いずれにせよ来客に酒や割引券を進呈するなどの文句も話題になり、井原西鶴はこれを大商人の手引きと引用したのは事実で、これが日本最古のキャッチコピーを記した斬新な広告チラシの登場で、日本初のポスティングであるといえます。

その後、明和6年(1769年)には平賀源内が知人の依頼で「歯磨き粉の引き札」を作ったのが話題になり、引き札が広告の常とう手段となっていくのです。

なお、引き札のことを大阪では街頭でまき散らしたことから「チラシ」と呼ぶようになりましたが、その呼び名が徐々に全国に広がったようです。

また、NHKで放送している人気の朝ドラ「あさが来た」の主人公、広岡朝子は明治時代に実在する女性実業家がモデルですが、彼女の生まれは三井十一家の小石川三井家で、当時は実質的に越後屋の基礎を築いた三井高利の母・殊宝の再来ともいわれていたようです。

4.特殊なチラシ・ビラ「伝単」

伝単(でんたん)とは、戦争という特殊な状況において、戦略的手段として敵国民の戦意喪失を主目的に配布する謀略用のチラシ・ビラのことです。

1870年、ナポレオン三世がプロセイン王国との戦い(普仏戦争)に完敗、帝政国家は瓦解、フランスに臨時の国防政府が設けられたのですが、その翌年、これに対してパリ市民は革命自治体(パリ・コミューン)を設立して対抗。 ここから内戦状態になるのですが、このときフランス政府軍がパリ上空から気球でまき散らした宣伝謀略チラシ・ビラが、世界初の伝単とされます。

世界初の伝単の効果は相当なものだったようで、チラシ・ビラを意味する「flyer」という英語には「空を飛ぶ人」の意味もありますが、このパリ上空からの散布に影響されたものと思われます。 第一次世界大戦(1914~1918年)に飛行機が登場し、大量配布が可能となったことで世界中で活用が広まり、第二次世界大戦(1914~1918年)では各国が数千万枚から数億枚を印刷して散布しています。

なお、戦意喪失目的の宣伝謀略用という特殊性から、伝単のデザインには斬新なものも多く、兵士に厭戦気分を生み出させるために刺激的なヌード画や過激なエロ場面を描いたもの、アニメ風や浮世絵風のものまで多種多彩にあります。ご覧になりたい方はネット検索してみてください。

ポスティングでは主にチラシやビラを投函するが主流ですが、チラシとビラの区別は「貼るのはビラ」で「配るのはチラシ」との俗説もありますが、それは行為の違いであって、本体との差異が明確ではありません。

チラシは「散らし」を語源とすることは定説になっていますが、ビラは諸説があり今も定説はありません。

チラシとビラ

ポスティングでは主にチラシやビラを投函しまかが、チラシとビラの区別は「貼るのはビラ」で「配るのはチラシ」という俗説もありますが、それはたんに行為の違いであって、本体の差異が明確ではありません。

チラシは「散らし」を語源とすることは定説になっていますが、ビラは諸説があり、いまも定説はありません。諸説のひとつに、別荘を意味する英語のVilla「ビラ」を語源とする説があります。

明治時代の初期、軽井沢などに外人向けの別荘が建てられるようになり、その販売促進のため外人居留地の樹木や壁に「Villa」と大書した紙の広告が貼られたことから、いつしか壁や柱に貼られた広告が「ビラ」と呼ばれるようになったというものです。

この他にも、英語でチラシ・ビラは「billやflyer」と表記されますが、bill(ビル)は、ポスターや紙の印刷物を貼ることを意味する言葉で、これを語源とする説もあります。

また、英語を語源とするのではなく、江戸時代末期の寄席では看板や高座出演者の表記に「ビラ字(現在は寄席文字)」と呼ばれる特殊な文字使用されており、当時はビラ職人やビラ屋も多数おり、寄席の「客寄せ広告」なども作成していたようで、「ビラ」の語源はこれに由来するとの説があります。

その他にも、ビラの漢字表記は「片(ひら)」で、薄っぺらな紙片がビラビラと揺れる様子に由来するのだという説もありますが、私的には由来は「ビラ字」なのではないかと推測しますが、定説はありません。